普通蒸しやぶきた 静岡新茶
静岡市両河内地区製造
2012年5月思月園にて1,260円
茶葉は濃い部位薄い部位あるが、一貫して黄色が少ない感じである。
肉厚な茶葉の味で、かつ香り高い。
八女でいえば、10年余り前に飲んだ栗原製茶さんのお茶作りに近い印象だが、よりエッジが効いている。
実直なお茶作りを感じる。
両河内(りょうごうち)は、現在のところ本山や川根ほど知名度は無いようだが、茶業者からは評価の高い産地とのこと。
2012年5月27日日曜日
2012年5月24日木曜日
狭山茶の起源――川越「中院」を訪ねる
埼玉県川越市の「中院」(天台宗別格本山)に、「河越茶」「狭山茶」の起源を記した石碑があった。
それによると、
そもそもお茶は、平安時代に最澄が中国の天台山国清寺から伝来し京都に栽培したのが始まりで、これを慈覚大師円仁和尚が830年、川越の仙波に星野山無量壽寺仏院建立に際し、比叡山より茶の実を携え、境内に薬用として栽培したのが、「河越茶」「狭山茶」の起源であるといった内容である(写真参照)。
日本における茶の起源についての記録としては諸説あるが、
西暦729年 奈良初期、天平の時代に聖武天皇がお茶を飲まれたことが 奥義抄(おくぎしょう)という書物に書かれているが、この奥義抄は、400年ほど後の、西暦1100年台に書かれた記録なので、信憑性に微妙なところがあるらしい。
また、西暦805年頃に中国から帰朝した最澄、同じく西暦806年頃空海が、お茶を飲んでいたと、伝えられているが、密教の言い伝えであり、記録がはっきりしないとのことである。
確実視される記録としては、平安初期の 『日本後記』 の記述で、弘仁6年(西暦815年)に、僧「永忠」(えいちょう)が近江の梵釈寺で嵯峨天皇にお茶を奉ったとの記載がある。
ただ、この永忠は、最澄と一緒に帰朝した留学僧であるので(つまり805年!)、永忠とともに最澄が日本にお茶を持ち込んだ可能性は、充分にあるといえるだろう。
また、英国人がインドのダージリンで中国種栽培を始めたが後になり自生種であるアッサム種が見つかった、というように、日本にも元々自生の在来種があったという説もあるが、上記のように奈良・平安ごろに帰朝した僧侶が持ち帰ったものが野生化した(帰化植物)という説も有力とされる。
これらを総合すると、必ずしも中院の石碑にあるように最澄が日本茶の元祖と断言し切れない部分もあるが、少なくとも、留学僧が日本に持ち込んだ茶が、寺院の建立に際し、寺院と共にこのように全国に広まっていったという流れ自体は、確実に存在したと思われる。
さて、この河越(川越)茶は、やがて、主な生産地を、現在の狭山市、入間市地区(狭山丘陵)としていった。
狭山丘陵は現在の狭山市と入間市にまたがっているが、特に入間市で栽培が盛んである。
鎌倉時代に武蔵国の狭山丘陵一帯で栽培されていたらしく、また、南北朝時代の書物『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』に、「天下に指して言う所」の茶産地の一つとして「武蔵河越(むさしのかわごえ)」が登場するそうで、この時期には河越~狭山地域は既に有名な産地であったらしい。
江戸時代には、狭山丘陵一帯の村々が川越藩領であったことからも、「河越茶」と呼ばれたとのこと。
この近隣で昔から城があったのは河越(川越)くらいなので、全国的には狭山丘陵も川越地区といった認識だったのであろう。
ただ、そもそも伝来したのが、現在の区分でも川越市だったのである。
この「河越茶」が「狭山茶」として大々的に売り出したのは近代以降のことである。
石碑にある「仙波」は現在の川越市内の地名で、星野山(せいやさん)無量壽寺は、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山としたそうで、その中心にあったのがこの「中院」である。
星野山無量壽寺には北院、中院、南院があり、北側にあった「北院」が今日、「川越大師」として著名な「喜多院」である。
2012年5月6日日曜日
高知のお茶
去る1、2年前、高知県を訪問した思い出を記す。
碁石茶
「土佐茶」ともいう高知県のお茶というと、全国的に知られているのは「碁石茶」である。
世界的にも稀な「後醗酵茶」に分類され、どこから伝来したのか?という文化人類学的視点からも、注目されている。
ものすごい量の乳酸菌を含んでおり、しかもヨーグルトなど動物性の乳酸菌に比べ、植物性乳酸菌は体内へ吸収されやすいらしい。
酸味と不思議な渋みがあり、思ったより飲める。
昭和の終わりごろか、一時は生産農家が一軒にまでなったそうだが、関係者の尽力により価値が見直され、今日では高知に行くと、みやげもの店でも見ることができるようになった。
煎茶
今のところあまり知られていない気もするが、高知では仁淀川や四万十川上流域などを中心に、非常に淡く繊細な煎茶を作る。
甘みも渋みも少なく、青草のような味というか、とにかく特徴的な味である。
うまく淹れるのはかなり難しいが、特徴を活かして売ってほしい。
もしかしたら、肥料をがんがん入れ商業的になったらもっと売れ線の味になるのかもしれないが、それが良いのかどうかは分からない。
秩父帯の土は、煎茶作りに向いているのだとか。
番茶
高知を訪れたとき特に面白かったのは番茶文化が盛んなことである。
今でも普通のスーパーや地元の人が来る銭湯(温泉)に、当地の番茶や、今の分類では「茶」ではないがハブ茶等の「ハーブティー」などが、数多く並んでいるのを見て、非常に感銘を受けた。
また、高知出身で地元を離れ一人暮らしをする20代女性が飲んでいたお茶を見せていただいたら、実家から送ってきた番茶だった、ということもあった。
煎茶が番茶を圧倒してきた日本のここ100年であったが、今日でも高知では番茶文化が続いていて、伝統芸能や学問というのではなく、一般の人が日常的に飲んでいる。
碁石茶も番茶の役割だが、学問的に貴重な碁石茶以外にも、沢山の番茶があり、飲まれ続けている。
これは非常に貴重で面白いことなので、世に広まってほしい文化である。
2009年に「番茶のお店 ふりゅう」(福岡県)が創業されたようだが、21世紀は番茶がいっそう見直されることだろう。
碁石茶
「土佐茶」ともいう高知県のお茶というと、全国的に知られているのは「碁石茶」である。
世界的にも稀な「後醗酵茶」に分類され、どこから伝来したのか?という文化人類学的視点からも、注目されている。
ものすごい量の乳酸菌を含んでおり、しかもヨーグルトなど動物性の乳酸菌に比べ、植物性乳酸菌は体内へ吸収されやすいらしい。
酸味と不思議な渋みがあり、思ったより飲める。
昭和の終わりごろか、一時は生産農家が一軒にまでなったそうだが、関係者の尽力により価値が見直され、今日では高知に行くと、みやげもの店でも見ることができるようになった。
煎茶
今のところあまり知られていない気もするが、高知では仁淀川や四万十川上流域などを中心に、非常に淡く繊細な煎茶を作る。
甘みも渋みも少なく、青草のような味というか、とにかく特徴的な味である。
うまく淹れるのはかなり難しいが、特徴を活かして売ってほしい。
もしかしたら、肥料をがんがん入れ商業的になったらもっと売れ線の味になるのかもしれないが、それが良いのかどうかは分からない。
秩父帯の土は、煎茶作りに向いているのだとか。
番茶
高知を訪れたとき特に面白かったのは番茶文化が盛んなことである。
今でも普通のスーパーや地元の人が来る銭湯(温泉)に、当地の番茶や、今の分類では「茶」ではないがハブ茶等の「ハーブティー」などが、数多く並んでいるのを見て、非常に感銘を受けた。
また、高知出身で地元を離れ一人暮らしをする20代女性が飲んでいたお茶を見せていただいたら、実家から送ってきた番茶だった、ということもあった。
煎茶が番茶を圧倒してきた日本のここ100年であったが、今日でも高知では番茶文化が続いていて、伝統芸能や学問というのではなく、一般の人が日常的に飲んでいる。
碁石茶も番茶の役割だが、学問的に貴重な碁石茶以外にも、沢山の番茶があり、飲まれ続けている。
これは非常に貴重で面白いことなので、世に広まってほしい文化である。
2009年に「番茶のお店 ふりゅう」(福岡県)が創業されたようだが、21世紀は番茶がいっそう見直されることだろう。
2012年5月5日土曜日
「生仕上げ新茶」ゆたかみどり 鹿児島県田代町産
水分が多く日持ちしにくいというリスクを冒しながらも、3年かかって青臭いまでの昔の新茶の味を復活させた、思月園さんの名品である(『僕は日本茶のソムリエ』p37-42参照)。
新茶の季節にだけ味わえる、自分としては最も楽しみにしているお茶の一つ。
茶葉を見ると一見淡い緑色に驚くが、よく見ると、濃い芽のほうと淡い茎や大きな葉のほうとが混ざっている。
粗い唐箕のみ使っているのか、茎も多少入っている。
もちろんこれらは全て、「生茶仕上げ」と名づけられた青々とした味を出すための意図的な仕上げ。
春の気温上昇が遅かったことが影響しているのか、青々しさが凝縮された昨年よりも、気持ち日なたっぽい味がするかな・・・?
店主は昨年後半から体調を崩されてたらしく、お痩せになっていた。
店主の高宇さんは日本茶の宝。
どうかご無理をせず、末長く続けていただけたらと思う。
今年は静岡県産の新茶は販売ロットごとに放射能検査をした上で販売している点も良心的で素晴らしい。
ND(検出されず)の結果ばかりで一安心。
色々なことがあった昨年であったが、今年もまた素晴らしい新茶に出会えたことに感謝したい。
2012年5月思月園にて購入
新茶の季節にだけ味わえる、自分としては最も楽しみにしているお茶の一つ。
茶葉を見ると一見淡い緑色に驚くが、よく見ると、濃い芽のほうと淡い茎や大きな葉のほうとが混ざっている。
粗い唐箕のみ使っているのか、茎も多少入っている。
もちろんこれらは全て、「生茶仕上げ」と名づけられた青々とした味を出すための意図的な仕上げ。
春の気温上昇が遅かったことが影響しているのか、青々しさが凝縮された昨年よりも、気持ち日なたっぽい味がするかな・・・?
店主は昨年後半から体調を崩されてたらしく、お痩せになっていた。
店主の高宇さんは日本茶の宝。
どうかご無理をせず、末長く続けていただけたらと思う。
今年は静岡県産の新茶は販売ロットごとに放射能検査をした上で販売している点も良心的で素晴らしい。
ND(検出されず)の結果ばかりで一安心。
色々なことがあった昨年であったが、今年もまた素晴らしい新茶に出会えたことに感謝したい。
2012年5月思月園にて購入
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